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大学病院勤医時代

大学卒業後、国立岐阜大学医学部歯科口腔外科学教室に入局して研修医になりました。1年目研修医の最初の仕事はまず、入院患者さんの状態把握でした。朝は患者さん達の尿検査から始まります。尿比重を測り(脱水状態の判断基準となります)、検査スティックを使って尿潜血・蛋白・糖・pH等を調べます。その後、パソコンで血液データのチェックをし、点滴の準備をしてから先輩ドクターの見守る中、処置室で入院患者さん達の創部処置を行います。それが済んだら午前中は外来へ。何と1年目の研修医達それぞれに割り当てられた日は初診患者さんの診察を行います(先輩ドクターが横に付いてくれました)。それ以外の日は外来で担当の再診患者さん達を診ます。分からないことだらけで不安を隠しつつの診療でしたが、患者さん達は気付いていない様でした。午後は外来手術(局所麻酔で出来る小手術:難抜歯・嚢胞摘出等)を行ってから病棟勤務となりますが、手術日は中央手術部で手術介助をします。執刀医である先輩ドクターに助手として付かせてもらい、手術手技のイロハを教わります(患者さんは全身麻酔で意識がありません)。今、自分が使っている手術手技はこの時期に身に着けたものがベースとなっています。訳あって1年で退局して熱田区の歯科医院に2年間勤務(歯科医院勤務時代のページに記載します)した後、国立浜松医科大学医学部歯科口腔外科に入局しました。口腔外科医としては2年目ということになります。が、世間はキビシイもので卒後4年目の口腔外科医としての扱いを受けることとなりました。難しい親知らずの抜歯程度は助手無し、「1人で抜けて当たり前」といった感じです。手術も大規模なものは除けば執刀医を任される事もしばしばありました。もう怖くて怖くて手術前数日間は眠ることが出来ませんでしたね。でも、必死で数をこなすうちに確実に知識は増し、技術も向上している実感はありました。充実した日々でしたね。忘れられないのは例えば舌癌切除・全頸部廓清・即時再建(堀ちえみさんも受けた手術ですね)等の「ビッグオペ」ですね。予定手術時間は15時間、でも実際はもっと長時間になる事が多かったです。朝9時に手術室に入り、終わってICU(集中治療室)に入る頃には翌日の午前4時とか5時とかになる事もありました。でも帰る事は出来ません。数時間後には又、外来で患者さん達を診なければなりませんし、午後には外来小手術・病棟勤務が待っています。一端医局に戻って自分のデスクに突っ伏してウトウトし、フラつきながら外来に向かうというハードな日が何度もありました。本当にキツかったですが、今となってはいい思い出です。9か月間出向した自治医科大学集中治療部での日々も忘れられません。はっきり言って「地獄」の様にハードな日々でした。一気にそれまでの「死生観」が変わってしまいましたね。一般病棟では生命維持が不可能な患者さん達の全身管理をしなければなりません。急激に容態が悪くなって亡くなってしまうしまう方も多かったのですが、その一方で心臓がほとんど機能していないにも関わらず、人工心肺(PCPS)・動脈内バルーンポンプ(IABP)等によって生きている。しかも人工呼吸管理下で話す事こそ出来ませんが意識ははっきりしている方もいらっしゃいました。治る見込みは無かったので、結局その方のご家族と話し合いをして最後は薬で眠っていただいてから生体モニター以外の機械類のスイッチを全て切ったところ、すぐにお亡くなりになりました・・・。今の時代の命って「どうにもならないものであり、どうにでもなるものでもある」んだなぁ・・・と思う様になったのは多分その時からだと思います。当直は先輩ドクターとの2人体制だったのですが、当直日は本当に不安でしたね。午後6~7時になると他の先生方は帰ってしまい、医師は先輩ドクターと私だけになります。「どうか救急患者が来ませんように!!」祈り続けても来るときは来ます。急患の連絡があったら直ちに人工呼吸器の準備をして待機します。程なく救急隊員がストレッチャーに横たわった患者さんを運び込みます。直後、先輩ドクターが怒鳴ります「早くしないと死んじゃうぞ~!!」と。頭真っ白状態の中、点滴ルートを確保して気管内挿管、中心静脈カテーテルを留置します。その間に必要な薬やシリンジポンプ等を看護師さん達に準備してもらい、接続・投与して呼吸・循環の安定を図ります。なんとか安定したら翌朝、他の先生方が来るのを待って主治科のドクター達とディスカッションしてから本格的な治療にとりかかるといったところですね。そんな日は当直明けであっても帰れないです。当時の自治医科大学集中治療部はベッドが20床位あってほぼ毎日満床で慢性的な人手不足でしたからね。ですから救急で入った患者さんの処置をしながら自分の担当患者さん達の管理もしなければなりませんでした。「他の先生に任せて自分は帰る」なんてとても出来る状況ではなかったです。何時間連続で働いたか分かりません。そんな日々が続くと精神的におかしくなってきます。たまの休日でも救急車のサイレン音が聞こえてくると気が動転して息苦しくなり、心拍数が一気に上昇するのが分かりました。パニック症状ですね。この症状は自治医科大学から浜松医科大学に戻ってからも1年以上続きました。本当に勉強になり、自治医科大学集中治療部の先生方には感謝しかないのですが・・・もう2度とあの生活は味わいたくありません。結局9カ月、自治医科大学集中治療部で過ごした時に浜松医科大学口腔外科の医局から「大学院に進まないか?」というお達しがあり、私は大学院医学研究科博士課程の入学試験を受ける事にしました。その後ついてご興味がお有りの方は「大学院生時代」をご覧ください。