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大学院生時代

国立浜松医科大学医学部・大学院医学研究科博士課程入学試験(英語とドイツ語の長文読解でした)に合格して自治医科大学集中治療部を退職し、浜松医科大学に戻った私は解剖学教室で基礎医学を研究することになりました。大雑把なテーマは「損傷した神経の再生について」です。具体的にはラットの左側の咬筋神経(咬む筋肉を動かす神経)を切断して起こる脳内の変化を調べました。そして一方で患者さん達も診ていました。まず、浜松医科大学歯科口腔外科では「大学院の学生であっても週1日(水曜日)は外来患者を診なければならない」という決まり事がありましたから。しかし、その時の私は学生であって職員ではなかったので当然ながら大学から給料は貰えません。というより国立で安くはありましたが、逆に学生として大学院に学費を払わなければならない立場です。「じゃあ生活費は?」というと奨学金(分かりやすく言えば「借金」な訳ですから卒業後に全て返済しました)と週2回のアルバイト代(医局から配当してもらった2か所の歯科医院に午後だけ行って診療していました)と講師代(週1~2回、浜松歯科衛生士専門学校で系統解剖学と口腔解剖学の2教科を教えていました)で生活していました。子供も生まれて(しかも双子!!)それなりに厳しい経済状況だったので家内には申し訳ないとは思っていたのですが、楽しい日々でしたね。タンパクの同定・定量やDNAの電気泳動、細胞培養、大腸菌にプラスミド(環状DNA)を取り込ませて欲しいタンパクを大量に作らせる等々、「研究」は面白い事に溢れていました。集中治療部での「地獄」からすると「天国」の様な日々でしたね。それなりに頑張って研究した結果、私の論文が生物学系の研究者なら知ってて常識の雑誌(ネイチャーやサイエンスにはほど遠いですが)である「FEBS Letters」に掲載されることになってしまいました(ご興味のある方はこちらをご覧ください)。これには驚きましたね。指導教官(大野先生)に大感謝です。研究が終わると医学博士として認められるための「学位審査」が待っています。実は浜松医科大学の学位審査は知る人ぞ知る全国的にも「厳しい」審査です。形式としては貸切の講義室で基礎医学の教授3人に対して研究の内容を発表し、質問された事項に答えるというものです。でも何といっても教授陣も私の論文が「FEBS Letters」に載った事を知っていますから割と自信を持って臨めましたね。結果、問題なく良い評価をいただく事が出来、晴れて「医学博士」として認められることになって大学院生時代を終え、再び医局員として歯科口腔外科に戻ることとなりました。その後ついてご興味がお有りの方は「歯科医院勤務医時代」をご覧ください。